公益財団法人
西郷南洲顕彰会

名前のエピソード

生い立ち

斉彬公との出会い

錦江湾入水

沖永良部島流罪

 

蘇生した西郷は、安政の大獄によって捕縛の命令が出ていたため、幕府の目から逃れるために薩摩藩は奄美大島へ潜居し名前を「菊池源吾」へ変えるように命令しました。

奄美での生活は、罪人扱いではなかったため暮らしには困ることもなかった。しかし、当初は島人からは恐れられ子供たちは逃げさっていた。
子供好きの西郷は、逃げていく子供たちを追いかけ頭を撫でたり、胴あげしてやったりして子供たちもいつの間にか寄ってくるようになり、島の人たちも次第に親しむように。

間切横目であった得藤長の世話で名家である竜左運の家に案内され、しばらく世話になった。のちに美玉新行の空家を借りて生活をはじめることに。

文久元年の終りに、突然、藩庁から帰藩命令を受けた。それから2年後の文久2年に帰藩することになった。

 

奄美に潜居して10か月がたった頃、竜家の一族である竜佐恵志の子・愛加那を島妻として迎えた。

2年ほど愛加那と生活した文久元年1月2日、菊次郎が生まれた。菊次郎が生まれる前に藩庁から帰藩命令を受け、2年後に帰藩。
しかし、島妻である愛加那は本島に連れて帰れない掟のため、別れを悲しみ西郷の毛髪を形見とした。
この時、愛加那は二人目となる子供の出産をひかえていた。