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鹿児島城下の下加治屋町山之口馬場で、父九郎隆盛・母マサの長男として生まれる。幼名小吉(こきち)。
12月7日(1828年1月23日) |
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松本覚兵衛について儒学を学び始める。次弟吉二郎(隆廣)生まれる。 |
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造士館からの帰途、友人と争い、右ひじを負傷する。武術より、学問に励むようになる。 |
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三弟信吾(隆興・従道) 生まれる。 |
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藩の郡方書役助(こおりかたかきやくすけ)となり、郡奉行迫田太次右衛門利済の配下につく。この頃、吉之介と称す。父は吉兵衛と称す。 |
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四弟小兵衛(隆雄)生まれる。このころから、下加治屋町郷中の二才頭(にせがしら)になる。 |
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このころ伊藤茂右衛門に陽明学を、無参禅師に禅学を学ぶ。 |
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伊集院兼寛の姉と結婚。 |
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父吉兵衛死去。亡父吉兵衛の跡目を相続。
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母マサ死去。翌年3月、善兵衛に改名。 |
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中小姓となり、藩主斉彬に従って江戸に上る。
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庭方役に任命される。水戸の藤田東湖に会い、深い感銘をうける。妻、留守中に実家へ 帰り離婚する。翌年まで善兵衛、のち吉兵衛と改名。 |
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4月 |
藩主斉彬に従って帰国。小姓与に復帰。
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徒目付・鳥預り・庭方兼役となり、江戸勤務を命ぜられる。
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橋本左内と会い、将軍継嗣問題に関する書簡を松平慶永に渡す。 |
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6月 |
帰藩して斉彬に関東の情勢を報告。
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吉井友実と上洛。
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7月末 |
大坂で斉彬の訃報に接し、殉死を考えるが、僧月照にいさめられる。
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水戸・尾張藩への内勅を持って江戸に行く。
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月照をかくまうため、有村俊斎と共に帰藩の途につく。
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藩命により三助と改名。
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月照に日向送りの藩命を伝え乗船。16日未明、大崎鼻沖で月照と共に入水。同乗していた平野国臣らに救われ、西郷は蘇生したが月照は死去する。
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晦日、菊地源吾と変名。奄美大島竜郷へ潜居を命ぜられる。 |
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1月 |
山川を出帆し、奄美島竜郷村着。 |
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龍枝加那の娘おとまがに(愛加那と改名)と結婚。 |
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1月 |
庶長子菊二郎誕生。 |
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新家屋落成。 |
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藩より召還命令を受ける。 |
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1月 |
大島三右衛門と改名して竜郷出帆。
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枕崎着。15日、徒目付・鳥預り、庭方兼役に復職。
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久光の上洛に、村田新八と共に先発。平野国臣らから京大坂の情勢を聞き、待機命令に背き下関出帆。大坂着。
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久光は激怒して、西郷らの捕縛を命ず、西郷・村田は捕らえられ、鹿児島に護送される。
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山川出帆。口永良部島・屋久島一湊・奄美大島西古見を経て、
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初め、徳之島湾屋着。岡前に住む。女子菊草誕生。
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沖永良部島への遠島処分を受ける。西郷家の禄高・家財没収。大島吉之助と改名し、岡前発。
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閏8月 |
井之川出帆。沖永良部島伊延着。和泊で入牢する。
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新家屋の「囲い」に移る |
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島の子供たちのために囲いの中で塾を開く。流人学者川口雪篷が来訪、以後詩作と書の指導を受ける。
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薩英戦争が起こる。
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土持政照の尽力で出撃のための船を準備する。また、薩英戦争の情報を徳之島や沖縄に求める。 |
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2月 |
召還の藩命出る。竜郷経由で喜界島に寄り、村田新八をつれ鹿児島着。
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鹿児島出帆、京都に入り軍賦役になる。
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一代新番・小納戸頭取となる。
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禁門の変起こる。薩摩兵を指揮して、長州兵を撃退する。藩命により西郷姓に復名。御側役・代々小番に昇格。
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征長軍総督徳川慶勝より長州の処分を一任される。
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岩国で吉川監物に長州処分案を伝える。征討進軍を中止し、長州処分案を総督に提出。
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下関で三条実美ら五卿の処分を計り、征長軍の解兵を提案する。 |
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1月
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帰国。岩山八郎太の二女イトと結婚。
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太宰府で五卿と会い、福岡で藩主黒田長溥に五卿の処遇を頼む。
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上洛。
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坂本龍馬を同行して帰国。大番頭・一身家老となる。
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大久保と計り、長州再征には出兵拒否の藩論をまとめる。
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上洛。
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四国連合艦隊の動きを知り、雄藩連合を計る。
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帰国し、京都の情勢を報告して、久光の上洛を促す。
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兵を率いて上洛。
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黒田清隆・坂本龍馬を長州に遣わし、薩長連合を計る。 |
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1月 |
薩長同盟成立。
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帰国。
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藩政改革と陸海軍拡張を進言。
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鹿児島入港のイギリス軍艦を訪ね、パークス駐日公使と会見。
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嫡子寅太郎誕生。
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大目付・陸軍掛を拝命。
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大目付返上。上洛。
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兵庫でイギリ公使の通訳官アーネスト・サトウと会う。 |
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2月 |
帰国し、四藩会議を久光・忠義に建言。高知に行き山内豊信に、宇和島に行き伊達宗城に上洛を促す。
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久光に従い、兵700を率いて上洛。
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中岡慎太郎・板垣退助らと王政復古を計る。
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山県有朋に討幕の決心を告げる。久光、山県を引見し、薩長連合の密旨を毛利敬親に伝えるよう頼む。小松・大久保・中岡・後藤らと王政復古を盟約。
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村田を長州に遣わし、土佐藩との盟約を打診。
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後藤と会い、土佐藩の大政奉還建白書提出論を聞く。
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薩摩藩邸で、小松・大久保、長州の広沢真臣・品川弥次郎・安芸の辻将曹らと会合し、三藩連合して王政復古断行を決める。
13日、薩藩に、14日、長州藩に討幕の密勅が下る。大久保・小松・広沢・品川らと連署して、奉命書を奉る。山口にて毛利敬親父子に謁し、討幕の密勅を呈し上洛出兵を促す。帰国して久光・忠義に討幕の密勅を呈し、上洛出兵を促す。
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忠義を奉じ、兵を率いて鹿児島発。毛利内匠らと会合し、薩・長・安芸三藩兵出兵の手順を決める。
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大久保・岩下・吉井、長州の山田顕義・品川らと会合して、王政復古の大号令発布日を決める。岩倉具視・伊地知正治・岩下・吉井らと大久保邸で会合し、王政復古のクーデターを9日に決定。
9日、薩摩・安芸・尾張・越前四藩の藩兵に出動命令を出す。会津・桑名兵退却。土佐藩兵も出動。王政復古の大号令発布・幕府滅亡。小御所会議開かれる。
12日、参与職に任命さる。 |
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1月 |
1日江戸薩摩屋敷焼打ちの報を受ける。
2日大久保・岩下と王政復古に関する外国布告案作成。
3日、旧幕軍、大坂より大挙北上。鳥羽・伏見にて迎撃。
4、5日、官軍を指揮、勝利を得る。
7日、征討令発布の会議に出席。
17日、海陸軍掛、及び徴士に任命される。
18日、藩主に願って徴士を辞す。
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1日、大久保と征討策を練る。
12日、薩藩東海道先鋒軍を指揮して京都発。
14日、東征大総督府下参謀に任命さる。
25日、東海道先鋒軍の各藩隊長を静岡に集め、江戸進軍の命を伝える。
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5日大総督有栖川宮を静岡に迎える。
6日、東海・東山両軍に、15日を以て江戸城を総攻撃することを命ず。
9日、勝海舟の書状を持って静岡に来た山岡鉄舟と会う。山岡に徳川処分案を手渡す。
13日、江戸高輪の薩摩藩邸で勝と会う。
14日、田町の藩邸近くの旅館で勝と会い、徳川方の対案を受領。明日の総攻撃を中止する。
16日、静岡で大総督府と協議。
20日、京都で政府首脳と勝の案を協議。
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江戸城入城。
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閏4月 |
京都で大久保・岩倉らと、徳川の封土と関東鎮撫の策をねる。
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黒門口の薩摩軍を指揮し、上野の彰義隊を撃破する。
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募兵のため帰国。
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東北鎮定に三隊を率いて鹿児島出帆。新潟着。弟吉二郎戦死。米沢・庄内(鶴岡)に進駐。寛大な戦後処理をする。
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太刀料三百両を下賜さる。 |
11月 |
鹿児島凱旋。日当山温泉で静養する。 |
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1月 |
藩の役職辞任。政府への出仕も辞す。
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忠義、日当山まで来て、藩政への参加を求む。藩の参政・一代寄合となる。
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函館の榎本軍討伐増援のため、精兵を率いて赴くが、戦いは終わっていたので、直ちに引返す。
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維新の功により、永世二千石の賞典禄を受ける。
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正三位に叙せられ、辞退したが許されず。この時から、父隆盛の名が誤用される。 |
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1月 |
参政を辞し相談役となる。
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山口の兵隊反乱を視察する。
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三男午次郎誕生。
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正三位の位返上許さる。
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鹿児島藩の大参事になる。 |
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勅使岩倉・副使大久保ら来鹿して、西郷の出仕を促す。久光、西郷の出仕を許す |
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1月 |
山口の木戸、高知の板垣らを誘い上京。
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御親兵の制をはかり帰国。
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忠義に従い、常備四大隊を率いて上京。
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木戸と共に正三位・参議になる。宮中や各省の大改革を断行。
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廃藩置県断行。
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斬髪・脱刀令を出す。
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岩倉・大久保・木戸ら欧米へ出発、留守政府を預かる。 |
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3月
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御親兵を近衛兵にする。
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天皇の西国巡幸に随行。大阪・京都・下関・長崎・熊本を経て鹿児島着。
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陸軍元帥兼参議、近衛都督となる。
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学制発布。別府晋介を朝鮮に、池上四郎を満州に遣わし、政情を調査させる。
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久光は、14か条を掲げて西郷を非難。西郷、帰鹿して久光を訪ねる。 |
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4月 |
東京帰任。
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徴兵令による陸軍大将兼参議に任ぜられる。
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病気となり、天皇、侍医を遣わす。朝鮮問題、閣議に上る。出兵に反対し、使節派遣を主張。自ら使節となることを願う。
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閣議で西郷の朝鮮使節派遣決定、天皇に上奏。
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岩倉・大久保らを加えて閣議を開く。意見対立。次の閣議で、西郷一任決定。大久保ら辞表提出。三条発病。岩倉、太政大臣代理となり、使節派遣中止を天皇に上奏して裁可される。すべての官位官職の辞表を出し、郊外に移る。辞表は受理されたが、正三位と陸軍大将はそのまま。
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帰郷し、武村に住む。四男酉三誕生。 |
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2月 |
久光が佐賀の乱の鎮定を命じたが断る。
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江藤新平が山川の鰻温泉に来て、援助を請う。
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従道に頼まれ、台湾出兵に300人を参加させる。
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私学校設立。
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大山巌帰鹿して、政府への復帰を願う。 |
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4月 |
鹿児島郊外の吉野に開墾社設立。
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三条、再出仕を要請。
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県令大山綱良の求めに応じ、県政改革断行。賞典学校生徒3名を、フランスに留学させる。 |
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3月 |
下野した久光の使者が来て、協力を求める。
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萩の乱・神風連の乱を知るが動かず。 |
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2月 |
2日 根占で、私学校徒の火薬庫襲撃事件を知る。
12日 陸軍大将の資格で、政府尋問のため東上することを大山県令に告げる。
17日 兵と共に出発。
22日 熊本城攻撃。
25日 官位を剥奪される。
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田原坂の戦い。
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人吉に退く。
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宮崎に退く。
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長井村で包囲され、陸軍大将服を焼く。可愛岳越えて囲みを破る。
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1日 鹿児島突入。
24日 政府軍総攻撃。城山岩崎谷で銃弾に当たり、別府晋介の介錯により自決する。 |
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