公益財団法人
西郷南洲顕彰会

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1827年
(0)
鹿児島城下の下加治屋町山之口馬場で、父・九郎隆盛、母・マサの長男として生まれる。幼名・小吉(こきち)。
12月7日(1828年1月23日)。
1833年
(6)
松本覚兵衛から儒学を学び始める。次弟・吉二郎(隆廣)生まれる。
1839年
(12)
造士館からの帰途、友人と争い右ひじを負傷する。武術より、学問に励むようになる。
1843年
(16)
三弟・信吾(隆興・従道)生まれる。

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1844年
(17)
藩の郡方書役助(こおりかたかきやくすけ)となり、郡奉行・迫田太次右衛門利済の配下につく。この頃、吉之介と称す。父は吉兵衛と称す。
1847年
(20)
四弟・小兵衛(隆雄)生まれる。
このころから、下加治屋町郷中の二才頭(にせがしら)になる。
1850年
(23)
このころ伊藤茂右衛門に陽明学を、無参禅師に禅学を学ぶ。
1852年
(25)
伊集院兼寛の姉と結婚。
9月 父・吉兵衛死去。亡父吉兵衛の跡目を相続。
11月 母・マサ死去。翌年3月、善兵衛に改名。

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1854年
(27)
1月 中小姓になり、藩主・斉彬に従って江戸に上る。
4月 庭方役に任命される。水戸の藤田東湖に会い、深い感銘をうける。
妻、留守中に実家へ帰り離婚する。翌年まで善兵衛、のち吉兵衛と改名。
1857年
(30)
4月 藩主・斉彬に従って帰国。小姓与に復帰。
10月 徒目付・鳥預り、庭方兼役となり、江戸勤務を命ぜられる。
12月 橋本左内と会い、将軍継嗣問題に関する書簡を松平慶永に渡す。
1858年
(31)
6月 帰藩して斉彬に関東の情勢を報告。
7月 吉井友実と上洛。
7月末 大阪で斉彬の訃報に接し、殉死を考えるが、僧・月照にいさめられる。
8月 水戸・尾張藩への内勅を持って江戸に行く。
9月 月照をかくまうため、有村俊斎と共に帰藩の途につく。
10月 藩命により三助と改名。
11月 月照に日向送りの藩命を伝え乗船。
16日未明、大崎鼻沖で月照と共に入水。同乗していた平野国臣らに救われ、西郷は蘇生したが月照は死去する。
12月 晦日、菊池源吾と変名。奄美大島竜郷へ潜居を命ぜられる。

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1859年
(32)
1月 山川を出帆し、奄美島竜郷付着。
10月 龍枝加那の娘・おとまがに(愛加那と改名)と結婚。
1861年
(34)
1月 庶長子・菊次郎誕生。
10月 新家屋落成。
12月 藩より召還命令を受ける。
1862年
(35)
1月 大島三右衛門と改名して竜郷出帆。
2月 枕崎着。15日、徒目付・鳥預り、庭方兼役に復職。
3月 久光の上洛に村田新八と共に先発。平野国臣らから京大阪の情勢を聞き、待機命令に背き下関出帆。大阪着。
4月 久光は激怒して西郷らの捕縛を命じ、西郷・村田は捕らえられ、鹿児島に護送される。
6月 山川出帆。屋久島一湊・奄美大島西古見を経て出帆。
7月 初め、徳之島湾屋着。岡前に住む。女子・菊草誕生。
8月 沖永良部島への遠島処分を受ける。西郷家の禄高・家財没収。
大島吉之助と改名し、岡前発。
閏8月 井之川出帆。沖永良部島伊延着。和泊で入牢する。
11月 新家屋の「囲い」に移る。
1863年
(36)
島の子供たちのために囲いの中で塾を開く。流人学者・川口雪蓮が来訪、以後詩作と書の指導を受ける。
7月 薩英戦争が起こる。
9月 土持政照の尽力で出撃のための船を準備する。また、薩英戦争の情報を徳之島や沖縄に求める。

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1864年
(37)
2月 召還の藩命出る。竜郷経由で喜界島に寄り、村田新八をつれ鹿児島着。
3月 鹿児島出帆。京都に入り軍賦役となる。
4月 一代新番・小納戸頭取となる。
7月 禁門の変起こる。薩摩兵を指揮して、長州兵を撃退する。藩命により西郷姓に復名。御側役・代々小番に昇格。
10月 征長軍総督・徳川慶勝より長州の処分を一任される。
11月 岩国で吉川監物に長州処分案を伝える。征討進軍を中止し、長州処分案を総督に提出。
12月 下関で三条実美ら五卿の処分を計り、征長軍の解兵を提案する。

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1865年
(38)
1月 帰国。岩山八郎太の二女・イトと結婚。
2月 太宰府で五卿と会い、福岡で藩主・黒田長博に五卿の処遇を頼む。
3月 上洛。
4月 坂本龍馬を同行して帰国。大番頭・一身家老となる。
5月 大久保と計り、長州再征には出兵拒否の藩論をまとめる。
閏5月 上洛。
9月 四国連合艦隊の動きを知り、雄藩連合を計る。
10月 帰国し、京都の情勢を報告して、久光の上洛を促す。
11月 兵を率いて上洛。
12月 黒田清隆・坂本龍馬を長州に遣わし、薩長連合を計る。
1866年
(39)
1月 薩長同盟成立。
3月 帰国。
4月 藩政改革と陸海軍拡張を進言。
6月 鹿児島入稿のイギリス軍艦を訪ね、パークス駐日公使と会見。
7月 嫡子・寅太郎誕生。
9月 大目付・陸軍掛を拝命。
10月 大目付返上。上洛。
12月 兵庫でイギリス公使の通訳官アーネスト・サトウと会う。

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1867年
(40)
2月 帰国し、四藩会議を久光・忠義に建言。高地に生き山内豊信に、宇和島に行き伊達宗城に上洛を促す。
3月 久光に伴い、兵700を率いて上洛。
5月 中岡慎太郎・板垣退助らと王政復古を計る。
6月 山縣有朋に討幕の決心を告げる。久光、山縣を引見し、薩長連合の密旨を毛利敬親に伝えるよう頼む。小松・大久保・中岡・後藤らと王政復古を盟約。
7月 村田を長州に遣わし、土佐藩との盟約を打診。
9月 強盗と会い、土佐藩の大政奉還建白書提出論を聞く。
10月 薩摩藩邸で、小松・大久保、長州の広沢真臣・品川弥次郎、安芸の辻将曹らと会合し、三藩連合して王政復古断行を決める。
13日、薩藩に。14日、長州藩に討幕の密勅が下る。大久保・小松・広沢・品川らと連署して、奉命書を奉る。山口にて毛利敬親父子に謁し、討幕の密勅を呈し上洛出兵を促す。 帰国して、久光・忠義に討幕の密勅を呈し、上洛出兵を促す。
11月 忠義を奉じ、兵を率いて鹿児島発。毛利内匠らと会合し、薩・長・安芸三藩兵出兵の手順を決める。
12月 大久保・岩下・吉井、長州の山田顕義・品川らと会合して、王政復古の大号令発布日を決める。岩倉具視・伊地知正治・岩下・吉井らと大久保邸で会合し、王政復古のクーデターを9日に決定。

9日、薩・安芸・尾張・越前四藩の藩兵に出動命令を出す。会津・桑名兵退却、土佐藩兵も出動。王政復古の大号令発布・幕府滅亡。小御所会議開かれる。
12日、参与職に任命される。

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1868年
(41)
1月 1日、江戸薩摩屋敷焼打ちのの報を受ける。
2日、大久保・岩下と王政復古に関する外国布告案作成。
3日、旧幕軍、大阪より大挙北上。鳥羽・伏見にて迎撃。
4,5日、官軍を指揮、勝利を得る。
7日、征討令発布の会議に出席。
17日、海陸軍掛、および徴士に任命される。
18日、藩主に願って徴士を辞す。
2月 1日、大久保と征討策を練る。
12日、薩藩東海道先鋒軍を指揮して京都発。
14日、東征大総督府下参謀に任命される。
25日、東海道先鋒軍の各藩隊長を静岡に集め、江戸進軍の命を伝える。
3月 5日、大総督・有栖川宮を静岡に迎える。
6日、東海・東山両軍に、15日を以て江戸城を総攻撃することを命じる。
9日、勝海舟の書代をを持って静岡に来た山岡鉄舟と会う。山岡に徳川処分案を手渡す。
13日、江戸高輪の薩摩藩邸で勝と会う。
14日、田町の藩邸近くの旅館で勝と会い、徳川方の対案を受領。明日の総攻撃を中止する。
16日、静岡で大総督府と協議。
20日、京都で政府首脳と勝の案を協議。
4月 江戸城入城。
閏4月 京都で大久保・岩倉らと、徳川の封土と関東鎮撫の策をねる。
5月 黒門口の薩摩軍を指揮し、上野の彰義隊を撃破する。
6月 募兵のため帰国。
8月 東北鎮定に三隊を率いて鹿児島を出帆。新潟着。弟・吉二郎戦死。米沢・庄内(鶴岡)に進駐。寛大な戦後処理をする。
10月 太刀料三百両を下賜さる。
11月 鹿児島凱旋。日当山温泉で静養する。

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1869年
(42)
1月 藩の役職辞任。政府への出仕も辞す。
2月 忠義、日当山まで来て、藩政への参加を求む。藩の参政・一代寄合となる。
5月 函館の榎本軍討伐増援のため、精兵を率いて赴くが、戦いは終わっていたので直ちに引返す。
6月 維新の功により、永世二千石の賞典禄を受ける。
9月 正三位に叙せられ、辞退したが許されず、この時から父・隆盛の名が誤用される。
1870年
(43)
1月 参政を辞し、相談役となる。
2月 山口の兵隊反乱を視察する。
3月 二男・午次郎誕生。
5月 正三位の位返上許され。
7月 鹿児島藩の大参事になる。
12月 勅使岩倉・副使大久保ら来鹿して、西郷の出仕を促す。
1871年
(44)
1月 山口の木戸、高知の板垣らを誘い上京。
2月 御親兵の制をはかり帰国。
4月 忠義に従い、常備四大隊を率いて上京。
6月 木戸と共に正三位・参議になる。宮中や各省の大改革を断行。
7月 廃藩置県断行。
8月 斬髪・脱刀令を出す。
11月 岩倉・大久保・木戸ら欧米へ出発、留守政府を預かる。

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1872年
(45)
3月 御親兵を近衛兵にする。
5月 天皇の西国巡幸に随行。大阪・京都・下関・長崎・熊本を経て鹿児島着。
7月 陸軍元帥兼参議、近衛都督となる。
8月 学制発布。別府晋介を朝鮮に、池上四郎を満州に遣わし、政情を調査させる。
11月 久光は、14か条を掲げて西郷を非難。西郷、帰鹿して久光を訪ねる。
1873年(46) 4月 東京帰任。
5月 徴兵令による陸軍大将兼参議に任ぜられる。
6月 病気となり、天皇、侍医を遣わす。朝鮮問題、閣議に上る。出兵に反対し、使節派遣を主張。自ら使節となることを願う。
8月 閣議で西郷の朝鮮使節派遣決定、天皇に上奏。
10月 岩倉・大久保らを加えて閣議を開く。意見対立。次の閣議で、西郷一任決定。大久保ら辞表提出。三条発病。
岩倉、太政大臣代理となり、使節派遣中止を天皇に上奏して裁可される。すべての官位官職の辞表を出し、郊外に移る。 辞表は受理されたが、正三位と陸軍大将はそのまま。
11月 帰郷し、武村に住む。三男・酉三誕生。

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1874年(47) 2月 久光が佐賀の乱の鎮定を命じたが断る。
3月 江藤新平が山川の鰻温泉に来て、援助を請う。
4月 従道に頼まれ、台湾出兵に300人を参加させる。
6月 私学校設立。
10月 大山巌帰鹿して、政府への復帰を願う。
1875年(48) 4月 鹿児島郊外の吉野に開墾社設立。
5月 三条、再出仕を要請。
11月 県令・大山綱良の求めに応じ、県政改革断行。賞典学校生徒3名を、フランスに留学させる。
1876年(49) 3月 下野した久光の使者が来て、協力を求める。
11月 萩の乱・神風連の乱を知るが動かず。
1877年(50) 2月 2日、根占で私学校徒の火薬庫襲撃事件を知る。
12日、薩軍大将の資格で、政府尋問のため東上することを大山県令に告げる。
17日、兵と共に出発。
22日、熊本城攻撃。
25日、官位を剥奪される。
3月 田原坂の戦い。
4月 人吉に退く。
5月 宮崎に退く。
8月 長井村で包囲され、陸軍大将服を焼く。可愛岳越えて囲みを破る。
9月 1日、鹿児島突入。
24日、政府軍総攻撃。城山岩崎谷で銃弾に当たり、別府晋介の介錯により自決する。